見えない善意の話
こんばんは、お疲れ様です。橘です。
お久しぶりではないですね。前回の記事を書いてから短時間で風邪を引きました。馬鹿ですね。多分身体を冷やし過ぎたっぽいですね。
ちなみにPCR検査したんですけどコロナじゃなかったです。安心しましたね。
というわけで今年最後なんですけどまあ社会人になって同期とかと話したりして思ったことが結構あったわけなんで自分も許容の幅を広げないとなと思いました。ちょっと考えを改めて生きていかなければいけないのかなと思ったことをだらだら書きたくなったので書いていこうというわけです。
他人の行為を曲解しない方が良い
自分にとっては不快なことでも相手からしたら善意前提の物事であって、それを攻撃であると捉えてしまうのは如何な物かなということです。これを攻撃(及び攻撃ではないにしろ何か悪意のあるもの)だと捉えてしまうとかなり息苦しくなるよなと一年くらいかけて思いました。
そもそも悪意前提で関わろうとしてくるわけではない(自分のような人間は割と面倒だなと思ったときに悪意で返すことがあるので一概には言えないが一般的な人間は悪意前提で関わってくることは少ない)のでしっかりと考えた方が良い。相手は仲良くなろうとして、善意で何か行為を行ってくるわけですね。
自分達のような人間、少なくとも自分は割と知り合い程度の人間からの行為を「面倒なもの」「意味のないもの」として曲解して受け取ることが多いが、そもそも発信した時点では善意によるものなので認識の齟齬が生まれているわけですね。
そもそも相手は会話を楽しく行うために「相手を楽しませようという気遣い」をしているんですけど、自分はこれを特に興味のない話などは意味のないものとして切り捨てがちっぽいですね。割と今もそうなんじゃないかと思っています。
いくら興味のない話でも相手が「共通の話題」として話を出してきている以上、これは相手からの気遣いであり、相手が気遣いをしているのならばせめて自分もそれに対しての気遣いをするのがマナーなのではないか、必要な義務が発生しているのではないかということです。
なので、飲み会等同期や社員と関わる機会にはあまり出たくはありませんが、出てしまうことになった場合はせめて相手の気遣いに対してのコストは支払っていこうと思います。
相手だけが気遣いをするという不義理を減らしていきたいね。
そんな感じ。
聴いてた曲は(:]ミ - Lonerism/をとは-TEMP LIME (Original Music Video)