外交的に見えるが本質的には他人が介在しない趣味の話
どうもこんにちは、中学生のころから陰キャのままの橘です。
本日はまあ別の物事に対する「本音が見えない人間ってなんか変だよね」という発言で間接的ダイレクトアタックを食らってそれ以降死んでいたのでつらくなってこんな時間にこんなものを書き出しているわけですよ。
MU2020はいいですね、死んだ心の隙間に入ってくる。今回はマジでやばかった。
そんなことは置いておいてまあ僕がよく使う外交的に見える他人が介在しない趣味についての話です。これを多用しすぎたために社交性が死んでいる人間が表面上の情報から社交的なのではという感じになって死んだ話です。
それでは。
・旅行
一人旅には一切他人が介在しない。ウケがいい。
ドミトリーに泊まるという話をすると社交的なんだね!みたいな話になるけど今後一生会うことのない人間に対しては無限に口から言葉が出てくるので対人だと思っていない説がある。
堂々の第一位。
・バー
バーは全部会話が1対1か多くても少人数になるので会話ではなく一方通行の何かが生まれる。
これも今後一生会わないだろメンタルなので基本的には他人が介在しない。
長く関われば関わるほど人間関係が駄目になっていく。表面上の人間なので。
まず正常な人間はあまり一人で来ない。
・クラブ
オタク向けのクラブサウンドなので。
そもそもここも一人で音楽聞いてはしゃいで酒飲んで終わりなので。ここでも一期一会感があるので適当な会話は出来る。
・自転車、水泳
運動してる人間はウケが良いがこの辺はそもそも個人でやるだけなのでかかわりがない。
終わり。
本質
そもそも自分が得意なのはその場しのぎと適当なことをそれっぽく言うことであって、人間関係の構築は死ぬんですよね。わかりませんか?いきなり人生で初めて共学の中にぶち込まれて今まで一回もしたことのないようなコミュニケーションを行っている。マジで何が正解なのかが分からないのがつらいですね。
オタクコミュニケーションと何が違うってコンテンツを介した会話ではなくて相手を対象にした会話なので本当に興味がないのがおしまいである。コンテンツ以外の会話をしてこんかった弊害がここに出てきている。
俺が今までトレモと呼んでいたものは本当に補助輪付きで練習コースを走っていただけで車道に出た瞬間に補助輪がなくてこけて轢かれて死んだわけですね。人間は集団で集まってこそ人間足り得るので今までは人間の模擬戦ですよ。集団会話で本当に正解が分からな過ぎて死んでいる。基本的に俺は別にこれいなくてもなんも変わらんよなと思いながら「その場にいる人」をやっている。
自分の関わってる範囲は全員良い人なので俺だけが勝手に死んでいる。誰も何も悪くない。
なんだこれは?社会か。
得意技は相槌です。
そんな感じ。